TOPページこのサイトのTOPページ

次女
 彼女は、昭和55年2月25日生まれで、今年23歳になる。彼女の職業は幼稚園の先生である。性格が明るく快活で先生にはもってこいの子だ。彼女にも悩みはあるのだろうが、悩んでいる姿をあまり見たことが無い。3姉妹の中で一番のしっかり者である。綺麗好きという点でも他の姉妹とは違う。家の中で彼女の部屋だけがいつも綺麗に保たれている。
 彼女は県立高校を経て、推薦入学で短大の保育科に入学した。勉強をしろといった記憶はあまりない。ずば抜けて優秀とはいえないが、親に心配をかけない程度の成績であった。登校拒否もなく、いじめもなく、友達も多く、有意義な学校生活を送ったといえる。他の姉妹の名誉のためにも言っておくが、勉強という点では、他の姉妹も、親に全く心配をかけなかった。
(小児喘息)
 小学校にあがる前の彼女は、喘息で苦しんでいた。発作は突然やってきた。近くの病院に駆けつけたが、冷たく断られ、救急病院に駆けつけた。この医院のM医師は、珍しく親切で親としてはありがたかった。発作は就寝した直後に起こりやすい。時間外にも拘わらず嫌な顔一つせず対応してくれたM医師には深い敬意を表していた。携帯噴霧器をいつも持ち歩くようになり、喘息でM医師を訪れる機会が減った。彼女か小学校にあがる直前、喘息でM医師を訪れると、既に他界されていた。ショックであった。それから新しい病院探しが始まった。幸い近所に喘息専門の医院があり、その後はそこに通うことになった。
 彼女が成長すると喘息は治っていった。変な言い方だが、親に大いに心配をかけてくれた娘であった。彼女がヒューヒューと苦しそうに息をしている。そんな彼女をながめながら、この子のためなら何でもしてやるぞと、いつも
思っていた。親らしいことをさせてくれた娘である。彼女のためにタバコを何度も止めようとしたのだが、ついに実現は出来なかった。情けないという気持ちが強く残っている。
(幼稚園)
 彼女の通った幼稚園は少し変わっていた。1日中、裸で過ごすのだ。喘息を治すためにという願いを込めて入園させた。そのお陰もあってか、彼女の喘息は治った。今では風邪を引かしたら責任問題になるので止めてしまっている。彼女は成長し、その幼稚園の先生なっている。彼女なりに思い入れがあったのだろう。彼女は迷うことなくその幼稚園への就職を決めた。
(親ばか)
 彼女は小学校時代、体操教室へ通っていた。私が若い頃体操をしていたので、姉妹で誰か一人、体操のみちを進んでくれないかと思っていた。姉妹の中で一番の適用を見せたのは彼女だった。そんな彼女も中学にあがる前に手が歪んでしまうということで体操教室を止めた。私の願いははかなく消えた。だが、彼女は高校にあがると
チアリーダーのクラブに入った。勉強もそっちのけで練習に励んでいた。毎年、春に全国大会が開かれた。優勝は出来なかったが、彼女はその中でまぶしく輝いていた。大学へ進んでからも自分たちでチームを作り、いろんな大会に出たり、ゲストとして招かれたりもしていた。私も彼女の活躍を見に行くのが楽しみであった。その点では、”姉妹で誰か一人、体操のみちを進んでくれないか”という願いは叶った。喘息で苦しんでいた彼女がここまで頑張るとは、親としては涙が出るほど嬉しかった。
 最近の彼女は仕事の忙しさで、その活動は止めてしまっている。しかし、その時代の友人が多くいる。時々、我が家にも友達が泊まりに来る。友人の多さは彼女の財産である。
(ボーイフレンド)
 この面では、3姉妹で彼女が最も劣っているようだ。高校時代には付き合っている男がいたようだが、今は誰とも付き合っていないようである。もっとも、私の目が節穴かもしれない。案外、付き合っている男がいるのかもしれない。帰宅時間ではあんまりぐずぐず言わないようにしている。自分がそうであったように、言っても無駄である。親の言うことちゃんと守る。それも現代では自立心の欠如ともいえる。行動には自分自身が責任を持つしかないのである。今、家には彼女しかいない。他の娘は、結婚、就職で生活の場を変えている。彼女が結婚でもして家を出たら、私たち夫婦と両親だけになってしまう。少し淋しいが、いつかそんな日が来ることを覚悟しておかなければならない。彼女がどんな男を連れてこようが反対はしないつもりだ。


TOPページこのサイトのTOPページ