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予測どおりの転勤内示があった。だが、予想外の転勤先なのでビックリした。病人としては受け入れざるを得ないのだが、一抹の不安がある。まぁ何処へ転勤しても同じといえば同じなのだが。

予定通り、その翌日(21日、22日)に京都へ出掛ける。結婚30周年を祈念してのものだ。昇任をしたのだ、一種の傷心旅行でもあった。詳細は「小さなたび」に譲るが、

(平成20年3月11日、火曜日、やはり仕事は大変)

給料を貰うことは実に大変である。周りと適当に協調しながら適当にやることが苦手な私にとってはとても大変だ。でも若い頃からそうだったかというとそうではない。むしろかなり協調的だった。いつから自分が変わったのか。やはり38歳に病気をしてからだろう。数ヶ月入院した後の復職はそれほどたやすい事ではない。周囲の同情的な目と同時に冷ややかな目を感じながら、周囲に気を使い倒して仕事をする。体調はすぐには戻らない。有休、時間休、傍から見れば迷惑な話である。他人は、休んで迷惑をかけたのに、まだ休むのか、本人が苦労するのは当たり前だと思っている。(じぶんが逆の立場でも同じようなことを考えるだろう)そうじゃない人もいるのだが、とてもそこまで思い巡らすことはできない。自分をかなり追い込んでしまう。それこそ「うつ病」になりそうである。そんな私を支え続けてくれたのは、家族である。特に女房殿であった。

あれから20年、病気というハンディーで出世街道からは完全におさらばした私なのだが、課長待遇にもしてもらい、今は結構ハードな仕事をこなしている。それでもやはり自分は病気なんだとどこかで割り切り自分を防御している。それが周囲にも伝わるのだろう。どうしても連帯感が生まれず、仕事への充実感がなかなか得られない。こんなことを考えるのは私が障害者だからで、健常者はもう少し楽観的に「これが現代なのだ」と割り切っているのかもしれない。自分のやり方で責任を果たすしかない...数年前から同じことを心に刻んでいる。

定年退職まで2年。病気を発病してから20年。よくまぁこれだけ頑張ってこられたものだ。家族の協力があってのもの。特に女房殿のお陰である。結婚当初45kgの体重がいつのまにか体重計のメモリが振り切れるほど大きな体になった彼女。不満はいろいろあるのだが彼女なくして現在の自分はない。それだけは確定的事実である。結婚して30年、子供3人(女)。孫5人(男3人、女2人)...まぁ病気をした割には頑張った人生である。来週、女房殿と京都花灯篭に一泊旅行しようと思っている。感謝を込めて...雨男の私。少し心配である.....


(平成20年3月10日、月曜日、名古屋四百年時代検定を終えて)

 昨日(3月9日)名古屋検定(名古屋四百年時代検定)が終わって一息ついたところである。試験としては京都検定の延長線上で受験したもので、それ程価値あるものではなかった。それでも私なりに努力した。テキストから問題をExcelに起こし、それを録音し、通勤時に聞き、衰えた記憶力をカバーする勉強方法を取った。少し遠回りなのだが、こうすることが今の自分には一番あった勉強スタイルであった。こうしたスタイルが確立したという点では意味があった受験であった。試験の難易度は予想通り超簡単であった。

さて、この次に何をしようかと迷う私である。年末には京都検定1級が待っている。このまま、9ヶ月間を費やすというのも一つの選択だが、その前にもう一つ何かに挑戦できそうである。ここ数年受けていないNTTコミュニケーションズのインターネット検定か。7月に試験があるというのが良い。その後4ヶ月あれば京都検定の勉強も出来るし....来週に転勤の内示が発表される。その発表結果を待ってから決めればいいだろう。数ヶ月間、離れていたホームページのメンテナンスにいそしむのも良いだろう。こんなことを考えられる健康に感謝である。


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