実に暑い日であった。溜まったストレスをクリアするため、また、京都に来た。病気持ちの私にとって、ストレスは最も良くない。といって具体的にこれといったストレスが有るわけではない。今の職場にそれほど不満があるわけでもなく、勿論、家庭にもない。どんな仕事をしても給料をもらう以上、ストレス(責任)は生じる。私は、ストレス発散の下手な人間である。ストレスを感じた時、私は無理やり京都にやってくる。千年にも及ぶ歴史の前に、私の思いなど、木っ端微塵である。穏やかな仏の顔に底知れぬ慈愛を感じる。見返りを求めぬ仏の愛。京都には私を慰めてくれる多くのものがある。
今回は京福電車(嵐電と呼ぶようになった)を四条大宮の駅から嵐山まで歩くという計画である。勿論、四条大宮までも歩くことになる。
午前8時15分、駅を出て西本願寺に向かう。世界遺産のお寺である。ここも東本願寺と同様、改修工事の真最中であった。私は飛雲閣を探した。金閣、銀閣と並んで三閣と言われている。聚楽第の遺構である。飛雲閣は東南の位置にあり、屋根とおぼしきものがかすかに見えるだけであった。私は少し気落ちし、総御堂に入った。残念ながら御影堂へは入ることができなかった。重いナップサックを肩から降ろし正座する。心の中に静寂が生まれる。先人達の営みが脳裏をよぎる。心地よい時間が過ぎる。本堂には、平日ということもあって、老夫婦が一組いるだけである。私は名残惜しい気持ちで総御堂を出た。
相変わらず日差しは強い。堀川通りを北に向かった。(後で思い出したのだが、西本願寺の唐門、島原の輪違屋に寄るのを忘れていた。)堀川五条の交差点を左折し、二本ほど西側の細い道を歩いた。私は半ズボンにTシャツ、首からタオルとカメラを下げている。見えた姿ではないのだが、このスタイルが一番落ち着くのだ。汗がひたたり落ちるので、カメラを濡らすのではと心配である。四条通りに出て左折する。四条大宮である。
大宮駅で路線図をチェックする。西院、西大路三条、山ノ内、蚕ノ社、太秦広隆寺、帷子ノ辻、有栖川、車折神社、鹿王院、嵐電嵯峨、終点の嵐山。距離にして12〜13kmといったところだろう。西に向かって歩き始める。新撰組屯所のあった壬生寺通り、千本通りを過ぎ、西院駅に着く。無人改札の小さな駅である。写真を一枚撮り再び歩く。電車は四条通りを横切り三条通りに出る。三条口駅、山ノ内駅と三条通りを歩く。待望の蚕ノ社である。
ここには三本鳥居があり、京都三珍鳥居で有名である。有難いことに境内に入っても私一人である。突き当りまで進むと左手に鳥居があった。予想していたよりはるかに小さい。竹柵で囲まれた暗いところに鎮座していた。ここ一体の森は元糺の森といわれている。そう、下鴨神社の糺の森と関係があるのだ。その昔、秦氏と加茂氏との間に厚い親交があったことが想像される。それは親戚関係があったのではないか。蚕ノ社にも御手洗池の足つけ神事がある。三本足鳥居の前が御手洗池である。私は靴下を脱ぎ、足を水につけた。冷たい水である。静かに目を閉じる。セミの鳴き声を聞きながら、太古の昔に思いを馳せる。至福の時である。
今度は広隆寺である。嵐電を左に見ながら細い道を西に進む。車が引切り無しに通るので、かなりの注意が必要である。前方に広隆寺が見えてきた。広隆寺といえば、秦河勝が聖徳太子からもらった弥勒菩薩半跏思惟像があることで有名である。この弥勒菩薩は、我国の国宝第1号に指定されている。広隆寺前は狭い道幅に車が溢れていた。南大門(仁王門)を写真に収めたいのだが道幅が狭く全体がフレームに入りきらない。道を反対側に渡れば問題ないのだが、体に少し疲れがあったので止めた。こういったちょっとしたサボリが後の大きな反省につながるのだ。無理をして写真を撮る。それがこの写真である。
境内に一歩足を踏み入れると、そこは別世界であった。時の流れが止まったようである。早速、弥勒菩薩半跏思惟像のある霊宝殿へ向かう。道端には桔梗の花が咲いていた。中に入ると少し照明が落としてあり、2人のおじさんが警備をしていた。部屋の中心に静かに弥勒菩薩は鎮座していた。やっと見ることができた。その感動で椅子にへたり込んだ。ずっと見つめる。なんとも言えぬ気品に溢れた面立ち。何を思いに耽っているのか。この赤松で作られている弥勒菩薩は渡来仏かもしれないといわれているが、私にはそうは思えない。弥勒菩薩半跏思惟像が2体あることを知る人は意外に少ない。この有名な弥勒は宝冠菩薩と言われ、もう一体は「泣き弥勒」と言われる弥勒菩薩である。この宝冠菩薩が泣き弥勒と別名を持っているのだと誤解している人が多い。残念ながら写真撮影は禁止である。私が今の感動をテープレコーダに録音していると、警備のおじさんがすぐに飛んできてカメラチェックをした。30分はいただろうか。
私は霊宝殿をでた。目の前に蓮の花がいくつも咲いている。強い太陽光線にめげもせず。 嵐電を何度も左右に横切りながら歩いた。帷子ノ辻駅である。
壇林皇后(嵯峨天皇の皇后)が人々の仏心を呼び起こそうと、自らの亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。この地が帷子ノ辻である。帷子ノ辻から西は、かつては化野(あだしの)と呼ばれる魔界と考えられていた。そんな魔界と言われた帷子ノ辻も、今は狭い道路に車が溢れ、多くの人々が行きかい、交通の要所になっている。とてもそんな歴史があったとは想像もできない。
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国道112号線、実は三条通りを西に向かう。この辺りで筋肉痛が激しくなった。時刻は11時を少し回っていた。ドラッグストアで冷たい飲料水とエアーサロンパスを買い、店先に座り込んだ。汗が滴り落ちる。無理をしたら駄目だぞと囁く声がする。15分ぐらい休んで腰を上げる。途中、写真にある俵屋宗達の風神雷神図の暖簾が掛かった店があった。京都らしいなと小さな感動をもらう。
有栖川を越え、少し歩くと車折神社の赤鳥居が見えてきた。この道をバスで通ったことは幾度もあったが、なかなかこの神社に寄る機会がなかった。もう一つ鳥居をくぐり、境内に入ると朱色一色の綺麗な神社であった。有名なのは境内にある芸能神社である。私もミーハー族と同じようにタレントの名前を探してみた。車折神社の名前は、後嵯峨天皇の嵐山への遊行の際、社前で轅(ながえ=車の前に平行に出ている棒)が折れたことで車折大明神の神号が贈られたという由来が伝わっている。この神社では、祈念神石を持ち帰り、願いがかなえば倍の石を返納することになっているそうだ。境内をどんどん行くと視界が開ける。なんとそこが車折神社駅であった。妙に境内の人通りが多いと思ったのはその性であった。
しばらく線路沿いに歩き、左に折れ細い道を歩く。地図など持っていないので少し迷い気味である。この感覚が好奇心を大いに刺激するので、すごく好きである。迷いながらも鹿王院に到着する。この寺は紅葉と庭園で有名である。一歩足を踏み入れると、周囲の雑踏は瞬く間に失せた。真緑の楓が覆い被さる。その中の石畳を歩く。正に京都の風情を味わっている。奥の建物に着いたのだが、人気が全くなく、声をかけたのだが反応もない。残念だが次の機会に庭を見ることにして、強烈な太陽の雑踏の中に戻った。いよいよ嵐山である。時間は12時をゆうに回っていた。
時間が少し余ったので、嵐山から嵐電で龍安寺に向かう。龍安寺へ向かう途中、加茂茄子を食べる。歯ごたえのあるその触感は忘れられない。鏡容池は強烈に緑を放ち、庭は白壁も美しく化粧直しされ優雅な姿を見せてくれた。観光客の3割ぐらいが外国人であった。