京都散策(京都検定...)(平成18年09月15日、金曜日)

8月は遠出をしなかった。例年にない酷暑がそうさせた。「京都に思いを込めて」というサイトを作りながら京都観光文化検定試験を受けてみようかなぁとぼんやり考えていた。先週は京都商工会議所が主催する研修会に参加した。参加費5,000円にしては話す内容は教科書どおりのもので、受験しようかどうかと迷っている私の優柔不断さを解決してはくれなかった。「なにも自分を追い込む必要はない」と弱気な自分がささやく、一方で「なにを迷っているんだ。馬鹿野郎!」と叱咤する自分もいる。最後の夏休みをとり、京都に出掛けることにした。自分の迷いを払拭するための旅であった。この9月14日で57歳になった。家族の皆からもらった誕生日祝いの現金で新幹線で行くことに決めた。

台風13号が九州へ上陸するらしい。心配であったが、その心配をよそに快晴の朝であった。私は、7時30分発のひかりに乗り込んだ。所要時間は50分。次の7時40分発の”のぞみ”の方が早く着くことになる。失敗したなと軽い後悔をしていた。車窓を流れる景色は淀んだ気持ちを浄化してくれているようだ。朝ごはんも食べずに家を飛び出したのでお腹が空いていたが、京都に着いたら美味しいものを食べようと我慢した。

京都駅に降り立つ。昨晩立てたスケジュールは、平安神宮、金戒光明寺、真正極楽寺真如堂、吉田神社、白砂村荘、銀閣寺、哲学の道、法然院、安楽寺、霊鑑寺、大豊神社、熊野若王子神社、永観堂、南禅寺、金地寺、無鄰菴、誠心院、蛸薬師堂永福寺、六角堂(紫雲山頂法寺)、仏光寺...としたが、果たしてどれだけ回れるのか疑問ではあった。バスターミナルに行くと銀閣寺行きの急行バスが直ぐに来た。平日なのだろう余裕で座ることができた。京都の勉強(?)を始めてから約1ヶ月。その間で疑問に思ったところ、記憶が曖昧なところを確かめるのが目的の旅である。勿論、京都を楽しみながらである。車内案内放送が流れる。頭の中で整理されていることばかりで、勉強の成果かなとちょっと自信を持つ。バスは七条通を東に走り、三十三間堂(蓮華王院=れんげおういん)を過ぎ、智積院前で左に折れ東大路通を北上する。五条、祇園、国立近代美術館前でバスを降りる。

神宮通を北に、仁王門通、二条通、冷泉通を横切り歩く。仁王門通には大きな鳥居がそびえ立つ。平安神宮では、左近の桜、右近の橘を確認し、神苑を見学する。何度となく訪れていたが神苑は初めてである。入場料600円(障害者手帳で300円に)を払い入園すると南苑、ここには有名な紅しだれ桜がある。「京都なるほど検定」(ラジオ番組)で紹介されていた。順路に従い庭園の奥に足を進めると、やがて中苑の蒼龍池の「臥龍橋(ガリュウキョウ)」がある。臥龍橋の飛び石は、豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が使われている。この庭は、7代目小川治兵衛(明治から昭和にかけて「植治(ウエジ)」と呼ばれ東山界隈に円山公園、無隣庵を始め幾多の名園を残している。)作ったことで知られている。東苑には泰平閣(タイヘイカク─通称=橋殿)がある。写真のシャッターを切る。見学には30分以上を要した。平安京遷都1100年を記念(明治28年)して立てられた建物ではあるが、そこにはしっかりとした歴史が確実に保存されている。

平安神宮を後に、岡崎通(平安神宮の東沿いの通り)を丸太通まで歩く。京都の通りの名前は憶えてしまうと楽で、今回も平安神宮の位置が通り名ではっきりと確認できた。交差点から北東に歩くと5分で「金戒光明寺」である。山門をくぐり少し歩くと大きな三門である。この寺へは初めて訪れたのだが、この三門には記憶がある。南禅寺の三門同様、テレビロケで使われているのであろう。御影堂、阿弥陀堂を見て、寺の東高台にある三重の塔へ上がる。どちらを見ても墓ばかりである。なんでも京都三大墓地の一つであるらしい。頂上まで上ると京都市を一望でた。この寺は、会津藩の松平容保(かたもり)が京都守護職の本陣を置いたことで有名である。当然、新撰組とのかかわりも容易に想像できる。歴史がずっしりと肩にのしかかる。目を閉じ耳を澄ますと時代を駆け抜けていった人々の叫び声が聞こえるようである。この寺にはこの静けさしか似合わない。

光明寺を後に、少しにしに歩くと聖護院に着く。ここは京都の門跡寺院である。聖護院は大根、かぶら、それに八橋(聖護院八橋)でその名が知られている。門をくぐると右手が本堂のようだが、およそ参拝できる雰囲気ではなかった。左手を奥に進むと「御殿荘」なるものがあった。土産物を売っているようだが、要するにホテルである。修学旅行生が多く泊まるらしい。全く興ざめである。そうそうに寺を出て、真如堂に向う。途中で八橋を作っている工場があった。「名古屋から来たものですが、見学させてください」という言うと、「いいよ」と答えてくれた。八橋の製造行程は飴作りのそれと似ている。試食もさせえもらえた。大感激であった。

急な坂道を登ると真如堂である。正式な名前は真正極楽寺である。門をくぐると右手に三重の塔がある。なだらかな石段が本堂まで続く。ウィークデーということもあり参拝者は数人。本堂の阿弥陀如来像を見て、寺の中を案内してもらう。丁寧な案内で満足できるものであった。この寺は三井家(あの三井財閥)のプライベートな菩提寺で、現在でも100何回目かの法要がいとなまれていると言う。この寺では、親切な説明を受け拝観には約1時間もかかってしまった。秋には紅葉で沢山の人が訪れる寺の一つである。ここから、吉田神社を目指したのだが、方向を間違ってしまい行き着くことが出来なかった。私が思っていたよりずっと西であった。時間が十分にあると思っていたが、もう12時をゆうに回っていた。引き返そうとも思ったが、次の機会にくればよいと銀閣寺、白砂村荘に向った。途中、浄土寺バス停前の「雅うどん」により、雅うどんを注文する。冷たいうどんの上に、掻き揚げ、ハンペイ、とろろ、わかめ、卵 等々がのったそれはそれは雅なうどんを食べた。これで850円は安い。

白川通今出川の交差点を右折し直進すると銀閣寺である。この辺りにくると急に人が増えたようである。橋本関雪が庭を造った白砂山荘に寄る。なんと”本日は団体様の利用で、一般の方の利用はできません”と表示されていた。どうして...関間の庭を見るにはレストランで食事をしながら見るしかないようで、その施設を団体が占拠していたのだ。こんなこともあるのかと銀閣寺に向う。

銀閣寺は足利義政が東山に作った寺院で、ここを中心に東山文化が起こった。この東山文化が茶道を中心とした数々の伝統美術を後世に伝えることになるのだ。私の記憶の中ではパットしない将軍、パットしないお寺という印象であったが、今回の勉強(京都検定)でその思いは180度方向転換をした。今回のポイントは、義政の持仏堂(個人的な仏堂というような意味)であった東求堂と、その中の同仁斎であったが、東宮堂は随分と離れた場所から、同仁斎にいたっては見ることすら出来なかった。写真では知っているのだがやはり実物が見たかった。一般人には難しいのか。方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘(ぎんじゃだん)や円錐台形の向月台( こうげつだい=これに座って月をみる)がある。もし、室町にこれらが作られたとしたらその当時の感性には頭が下がる。庭は枯山水と池泉回遊式で作られている。今回は庭園置くの高い場所に上り園内を一望した。恥ずかしいことだが、私が銀閣寺を思い込んでいたのは銀閣寺の中にある観音堂であった。これも勉強の成果である。試験大丈夫かな?? もっとゆっくりと見たかったのだが、銀閣寺を後にした。参道を下り左手に折れると西田幾多郎(きたろう)達にちなんで名づけられた哲学の道が続く。参道で買った金つば饅頭を方張り晩夏を楽しみながら歩く。

300mぐらい歩くと「法然院、霊鑑寺」の標識があったそれを左に川を渡る。短いが急な坂道を登り右にしばらく行くと法然院がある。正に苔むしたる寺院である。法然が念仏修行を行った草庵が起こりといわれている。境内はひっそりとして1000年前にタイムスリップしたような錯覚を覚える。紅葉ならさぞかし美しいことだろう。が、この静寂は体験できないだろう。神社仏閣には色んな顔がある。自分の精神状態によってその印象は変わる。京都には私のあらゆる精神状態に応えてくれるそれがある。この寺を紅葉の時期に訪れようとは思わない。

足を南に向ける。鹿ケ谷南瓜の炊き出しで有名な安楽寺がある。残念ながら拝観は行われていなかった。少し歩くと日光椿(じっこうつばき)や御所人形秘蔵等でで霊鑑寺がある。ここも、拝観が不定期で、拝観が難しい。更に足を進めるとこま鼠で人気のある大豊神社がある。こま鼠の写真を撮り、哲学の道に戻る。哲学の道のゴールにあたる。熊野若王子神社がある。”なぎ”でできたお守りに人気がある。災いをなぎ倒すと言われている。そこから、永観堂に寄り南禅寺に出る。幸い三門に登ることが出来た。遠くに京都の町並み、緑深い東山の山々、爽快な気分である。だが、三門に上る急な階段には荷物が多い私には辛かった。帰りがけに金地院による。ここには小堀遠州作の「鶴亀の庭」や茶室八窓席ある。残念なことに工事中で素晴らしい庭は十分に見ることが出来なかった。これでは拝観料がもったいない。受付のおじさんも感じ悪いし、早々にこの寺を引き上げた。こちらの気持ちのもっとゆとりがあるときにもう一度訪れようと思う。

今回、確かめたいことがあった。京極辺りの東西を走る道路名であった。特に三条通である。鴨川には旧東海道のゴールであった三条大橋がかかっている。道路も立派であるが、それが新京極のあたりでどこかにいってしまっている。そのあたりを確かめたかったのである。参上大橋を西に入り、どんどん歩いていくと、河原町通りとクロスするあたりで三条商店街のアーケードに変貌を遂げているのだ、注意していないと、これが三条通りとはとても思えない。一つ納得をして、次は、蛸薬師通と六角堂通の確認である。先ずは、蛸薬師寺を探す、新京極でスキ焼で有名な三嶋亭を左に見ながら100mぐらい歩くと左手に蛸薬師寺はあった。沢山の提灯で直ぐ分かった。意外とこじんまりとした寺である。蛸薬師通はこの寺名から取られている。少し戻ると六角通りという標識があった。これを西に歩くと六角堂(紫雲山頂法寺)に行くのだ。三条通に戻り西に歩く。日本銀行京都支店に行くためだ。この三条通には明治時代に立てられた洋館がいくつか残っている。その一つが日本銀行である。この建物は現在京都博物館別館として利用されている。大きな扉を押して中に入ると凛とした雰囲気が伝わってくる。正に歴史の重みと言いうやつだ。左右に大きなプラズマテレビが置かれており、京都の名所を流してくれている。私は、西芳寺のビデオを見た。六角堂の門限が17寺なので少し慌て外に出た。

外に出て西に歩く。烏丸通で左折し、六角道通りを左折するとそこに六角堂ある。ここの住職池坊専慶が華道の祖であることはあまりにも有名な話である。聖徳太子ゆかりの寺であり、「へその石」には人気がある。その「へその石」の由来を知る人は多くはないはずだ。係りの人が門を閉め始めた。時間厳守である。そんな時親子づれの二人が飛び込んできた。門を少し開け中に入れていた。17時、観光客には厳しい時間制限である。

京都駅に戻りいつもの回転寿司を食べようと駅南側の地下街に向った。なんと寿司屋一帯が工事中なのだ。残念であった。ここの寿司は一皿100円なのだが満足できるネタを握ってくれる。財布の軽くなった私に安心を与えてくれる店である。仕方なく近鉄地下街で白味噌のかかったトンカツを食べた。甘い味噌、私の口には合わなかった。京都では白味噌仕立ての雑煮を食べるようだがこんなに甘ったるい味なんだろうか....

今回は少しハードスケジュールであった。優柔不断な気持ちをはっきりさせたいというのが狙いで観光という本来の目的ではなかったのでしょうがないが、およそ京都観光には似つかわしくないあわただしさだった。新幹線の中でそんなことを考えながら”京都検定を受験しよう”と自分の気持ちが固まっているのに気付いた。ある意味、記念すべき京都行きであった。今度来るのは受験の時かな.....列車は彦根あたりを走っているはずだ....


    
 

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