11時20分、京都の高山寺に着く。ここからは自由行動である。16時30分までに念仏寺の駐車場に集合ということであった。高山寺は漫画のルーツとも言われている鳥獣戯画があるお寺である。思わずこんな歌を口ずさんでしまう。
京都 栂尾(とがのお) 高山寺(こうざんじ)
恋に疲れた女がひとり、
大島つむぎにつづれの帯が
影を落とした石だたみ
京都 栂尾 高山寺
恋に疲れた女がひとり
高山寺を一回りすると車道に出る。道の両側には「湯豆腐」、「甘酒」、「抹茶」....の店が並ぶ。車を避けながら円明寺に向かう。ここは紅葉の名所である。拝観料400円を払い中に入る。数年前の印象に比べて紅葉(もみじ)の色がくすんでいるように見えた。もう峠を過ぎてしまったのかもしれない。それでも境内横にある紅葉(もみじ)は素晴らしい赤を表現していた。太陽の光がさらにそれを強調する。カメラを向けるが思うようなアングルが取れない。安手のデジタルカメラのせいである。望遠レンズがあったらなと残念である。境内は数分もかからず通り抜けが出来る。この400円はちょっと高いのでは。![]() |
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軽いステップで階段を下りる。先日買ったトレッキングシューズが威力を発揮している。神護寺を後に清滝川沿いを下る。ここを錦雲峡というらしい。添乗員のお兄さんが、傍らの石に腰を降ろしている。紅葉は思ったほどではないが、来て良かったと強く思った。不意に涙がでてきた。歳のせいなのだろう。
一本道である、迷う要素はない。ところがである。清滝を過ぎたころからおかしくなってきた。完全に迷ってしまったようだ。私は一般道の急な坂道を歩いていた。歩きながら、この道は違うなと思った。横を通る車もバイクもローギアーで必死に登っている。そのくらい急な坂道である。いまさら引き返すのも馬鹿らしいので、上だけを見ながら歩く。腰を降ろしてお茶を飲む。体中から汗が吹き出ている。歩きは始める。しばらく歩いて地図を落としたことに気づく。先程、休憩したときに落としたらしい。取りに戻るほどの気力は無い。私は記憶に残っていた落合峠、念仏寺という固有名詞だけを頼りに歩かなければならなくなった。時刻は午後2時30分、集合時間まで2時間あるものの少し不安である。坂道は相変わらず続く。不安に駆られ自宅に電話をする。こんな山の中でも通じた。お袋に事情を話す。あきれた感じで「警察に電話したら。警察に!」と言う。電話を切る。いよいよ深刻である。方向は間違っていないはずだが。どうやら頂上に着いたようだ。しかし、落合峠の標識は無い。自分の方向感覚を信じて歩く。道が急に狭
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くなった。道はかなりの角度で下っている。車も通らなくなってしまった。まぁ、最悪は自分で帰れば良いさと思い切る。団体行動をできない人とさげすまれるだろうが、二度と会うことの無い人たちだ。と。その時。向こうのほうから一人の老人が歩いてきた。助かったと思った。「あの〜、念仏寺に行きたいのですが」と尋ねると、「この道をもう少し下ると突き当たるので、それを右に行けば念仏寺です。後15ぐらいです。」と教えてくれた。丁重にお礼を言い、道を下った。言葉どおり道は突き当たり広い道に出た。しかも人通りが滅茶苦茶多い道に出た。ホットした。見覚えのあるツアー客の顔も見える。
安心して念仏寺に入る。テレビなどで幾度となく紹介されているので、それほど新鮮味はないが、来るたびに思うのは、意外に狭いということである。ロウソクが揺れる夜の念仏寺に来てみたいものである。時刻は3時を回っていた。
私には最後に残された大きな仕事があった。地図を無くしたので集合場所が分からないのである。同じツアー客を探して教えてもらわねばならない。念仏寺の前の道を嵯峨野方面に下る。右:嵯峨野、左:大覚寺と書かれた標識に出くわす。さてどちらにいったものか。結局、両方を歩いてみたが駐車場はない。またまた、迷ってしまったようだ。念仏寺まで引き返し、添乗員の人を待つことにした。時間が迫ってきた。本当なら土産物を買いたいところだがそれが許されない。.........結局、同じツアーのおばさんに教えてもらうことになった。午後4時。やっと駐車場を確認できた。
今日の私は一体どうしたのだろう。前半は京都を楽しんだが、後半は焦りまくりであった。折角の京都なのに惜しいことをしてしまった。バスは定刻の4時30分に出発した。名古屋着8時ジャスト。今回の小さな旅は終わった。おかしな体験を脳裏に刻んで。