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(2008.3.09 、日曜日、名古屋四百年時代検定を受けてきました)

試験会場には、30分前に着いた。矢場町から徒歩で会場に向かった。先日までの寒さが嘘のような春めいた朝であった。途中、成田山別院に寄った。このお寺は、栄三越の南側にあったのだが、三越ラシック建設のため当地に引っ越したものである。ひっそりとしたビル間のお寺であったが、新しいお寺は、けばけばしい朱色で塗りたくられていた。ここから試験会場まで20分ぐらいかかる。少し歩く速度を上げ、中央線の架線をくぐり、右に回る。左手が名古屋工業大学である。受験者がぞろぞろ歩いている。今朝の新聞によれば1,600人が受けるそうである。驚いたのは、受験生の年齢である。どう考えても受験者は老人達(私を含めて)と思っていたのだが、若い人が4割ぐらい占めているではないか。なにを目的に受けるんだろう。少し不思議な感じがした。23号棟の試験会場に入った。やはり若い人が沢山いる。席に着こうと思ったのだが、私が座れるスペースが無い....後ろの女性が机を少し後に下げてくれたのでなんとか座ることが出来た。なんと狭いことか。3,150円の受験料を払っている者からすれば、なんじゃこりゃと愚痴の一つも出てしまう。全く劣悪な環境である。主催者の人、いっぺん座ってみては....


みんなが参考書を捲っていた。同じ勉強をしてきたのだなと妙な連帯感が沸いてきた。試験問題が配られた。今回の勉強方法が正しかったのか、間違っていたのか試される瞬間である。「始めてください」。私はゆっくりと問題を捲った。1問、2問....私の勉強方法は間違っていなかった。迷う問題もほとんど無く100問をやり終える。時計をみるとまだ25分しか経っていない。問題を見直す。
問36【徳川美術館所蔵「初音の調度」に代表される豪華な姫君の婚調度の中で筆頭道具とされたものは】これはテキスト写真が載っていたのだが、思い出さない。綺麗な蒔絵が施された...ウー...箪笥だ(正解は貝桶)
問45【芝居場所の数】たしかこんなに多いのという印象が残る...50箇所(これは正解)
問82【民放放送局で初めて開設したテレビ局は】確か、CBCだったが、ラジオ局だったかな....全国に先駆け中部日本放送が...自分の記憶を信じて...CBC(これも正解)
問97【日本碍子、日本特殊陶業、東洋陶器、大倉陶器などの企業群をなんと呼ぶか】森村グループだよな....でも昭和にかけてと書かれている...たしか創業時(?)はそう呼ばれたが...日本陶器グループに○(正解は森村グループ)
問98【トヨタ喜一郎が自動車を作るに当たって研究した車は】フォードかベンツ...ベンツということはないので...フォード(正解はシボレー)

よく読んでみると結構迷う問題があった。試験会場を出る人が多くなった。試験時間中は退出を禁ずるという説明があったはず。問題をもう一度読み直してみる。迷うところは同じである。私が作った問題集にはなかったものばかりである。もう一押しすれば、満点も夢ではなかったはず、少し残念であった。私も、解答用紙とアンケートを持って席を立った。本当は後30分はここにいなければならないことを承知で。試験官も毅然とした態度を取るべきであった。


試験は非常に簡単であった。アンケートにも書いておいたが、選択肢があまりにもずさんという感じがする。全く勉強していなくても、ほんの少しの常識があれば50%は正解が得られるほど、選択肢がずさんであった。もちろん、幅広い年齢層の人が受験するので、試験者側からすれば仕方ないかもしれないと同情する点はあるのだが。今回の合格率は80%近くいくであろう。合格が全くステータスにならないというのが少し残念だ。次回はもう少し試験問題作りに工夫されたい。

私としてはかなり勉強をした。テキストから問題をExcelに起こし、それを録音し、通勤時に聞く。何度も何度も聞き返し、衰えた記憶力をカバーした。少し遠回りなのだが、こうすることが今の自分には一番あった勉強スタイルであった。勉強スタイルが確立したという点では意味のある試験であった。来年の受験....時間がもったいない感じもするのだが....ただし、今回の勉強で名古屋そのものに興味が沸いてきたことも確かである。なんと名古屋を知らなかったことか。名古屋城、熱田神宮、徳川美術館....思いのほか名古屋にはまり込んでしまったかも知れない。